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他人のクルマを・・・・
Metabon宮です。
最近、ツイッターを見ていて気になったツイートが・・・・・
「ハイグリップ履いて、高い車高調つけて、サーキットも峠も走らない」オーナーのことを皮肉っているような趣旨だったと思う。
このツイートを見てハッとした。
筆者も恥ずかしながら、「高価なアイテムてんこ盛りで走らない」クルマとオーナーのことを、クルマ仲間でどうだこうだ言って盛り上がってしまったことがあった。
今にして思えば、半分やっかみもあったと思う。
そのオーナー氏がパーツについてドヤ顔で解説するのが癪に障ったのもある(笑)。
よく考えてみると、そのオーナーがサーキットやら峠やらを走らないことが自分に何の被害をもたらしたのか。
別になにもないのだ。
そのオーナーが満足してさえいればそれでいいのである。
うんちくだって「ふーん」と聞き流せばよいだけ。
自分を戒めるためにもやはり書いておこうと思う。
何が偉いとか・・・・ない
他の人の事をどうこう言うとき、いつのまにか「自分が上」「自分が優れている」「自分が正しい」という傲慢さが顔を出している。
本当にそうか?
サーキットは偉いのか?
峠を攻めているのは偉いのか?
ぜんぜん偉くもなんともない。
クルマという趣味に打ち込んでいることに変わりないが、どれが上、なんてないのだ。
結局、自分にとって「好きか」「嫌いか」なだけだ。
サーキットに打ち込む姿が好ましい、峠でタイヤ溶かすくらい走れるのが好ましい、
でも、街乗りで良いタイヤを生かさないのが「好ましくない」
それだけのこと。
それでも他人のクルマをどうこう言いたいときは・・・・
自分の生活の中で何か不満やうまくいかないことがないか振り返るべきだ。
だいたいにおいてそのはけ口になっていることに気付く。
あるいは「同意してもらう」ことで自己承認欲求を満たしたいのだ。
そんなことで憂さを晴らしても仕方ない。いい大人なんだから。
クルマをいじることは楽しい。
どんどん変わるフィーリングを楽しむ。「速くも走れる」クルマを所有していることを楽しむ。眺めて楽しむ。
何をやってもいいのである。
ただそこには「クルマが好き」という共通言語があるだけである。
最後に
誰かのクルマを見て、オーナーを見て、
何を思っても、何を感じてもそれは個人の感想だから別に良い。
それをわざわざ口にしなければいい。文章として外に出さなければいい。
カーライフは自由なのだ。
Metabon宮
自動車物書きユニット MetabonZ。
理系と文系の著者による「わかりやすさ」「読みやすさ」を目指したブログです。
豊富なクルマ遍歴と謎の知識量。日々頑張ってます。
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